お知らせ

自己紹介 笹谷達朗

ご挨拶 笹谷達朗より

2026年夏を迎えております。「暑中お見舞い申し上げます!」
私こと笹谷達朗は、約30年間にわたり、お塩に携わってきました。
ネット販売や全国塩脚を通して、多くの皆様に、感謝しております。

約2年前から、闘病家となり、社会保障の生活支援を受けながら、
現在(2026年夏)に至っております。皆様、ありがとうございます。
熊本県近郊の大地震に会われた方には、お見舞い申し上げます。

私は昔のように活発な活動はできませんが、今できることをやろうと、
少しづつ、経験した知識・スキルなどを使って、動き出しました。

新しいサイト、50sasaya.com 【笹谷達朗のとんでも 目線】を作り始めています。

何卒、よろしくお引き立てを賜りますよう宜しくお願いします。

はじめに読むお話 近況報告

約2年前の2024年の夏頃に、「急性心不全」と診断され、
急遽、東京の榊原記念病院へ、入院しました。”死にかけました”

約一か月後に、榊原記念病院を脱出(退院)して、
移住先の鹿児島県霧島市に戻り、いろいろ整理を始めました。
2024年12月、鹿児島市の国立医療センターに急遽入院しました。

私は、頑なに「現代医学」の療法を拒絶してきましたが、
とても苦しくなり、今よりも生活が向上できるのならと思い、
担当医の方針に従うようになりました。
2025年2月、心臓の開胸バイパス手術を決意し、行いました。

近況報告 2025~26年(現在)

2025年7月、転院先でリハビリ治療の霧島市の国分生協病院を退院。
東京都世田谷区の母(笹谷クリ子)の住まいに、同居という形で、
引き取ってくれました。
私は、介護保険制度の【要介護4】、また、身体障碍者1級となり、
社会保障の福祉制度のお世話になっており、大変助かっております。

略歴 生きてきた証?それとも、社会に迷惑をかけた証?

  • 1958(昭和33)年、北海道夕張市の炭鉱街で、生まれる。
  • 地元夕張市の小中学校、北海道立夕張北高校を卒業
  • 神奈川県横浜市にある神奈川大学外国語学部英語英文科を卒業
  • 東証1部上場企業 株式会社ゼンチク(現スターゼン)に入社
  • 株式会社アレフ(びっくりドンキーの運営会社)に転職
  • 36歳ごろ、ドロップアウトして、離婚。お塩に出会い約30年経過し、
     それ以降は、ネット構築、ネット販売、飲食店経営など自営
  • 2006年、夕張市の財政破綻問題がきっかけで、夕張市に移住
    ※地方自治体(小さな政府)とは、政治について学ぶ
  • 2014年、お塩の普及のため、全国塩脚(あんぎゃ)を開始
  • 2023年、鹿児島県霧島市に移住して、店舗運営を開始
  • 2024年7月から「急性心不全」を患い、現在に至る。
  • 2025年7月、東京都世田谷区の母(笹谷クリ子)のもとへ
    それ以降、社会保障の福祉制度のお世話(恩恵)になっている

笹谷達朗について、徒然に

  • 私の自慢できることは、一期一会で、今を生きたことです。
    好きな映画で「フォレストガンプ」がありますが、数回見てから、
    【一期一会】の意味を理解できるようになりました。
  • 長所か短所かはわかりませんが、いやな事、いやな所、いやな人付き合いなどを、
    しないように生きています。
  • 楽(らく)と書いて、楽しい(たのしい)。だから、楽な方向を選択します。
    また、「苦」は、くるしい、にがいと読みます。苦い経験は、苦しいもので避けたい。
    さらに、辛いという漢字の「立」の部分に「一」を添えると、「幸せ」です。
  • そして、無難→難がない! 有る難→有難いということですから、
    災い(難)転じて福となす。
    身にふりかかった不運や災難を、工夫や行動によって、かえって良い結果や幸せに変える
    という意味のことわざです。悪いことが起きても、そこから立ち直りプラスにしていく前向きな状況で使われます。
  • 後悔先に立たず
    してしまったことを後から悔やんでも、もう取り返しがつかないという意味のことわざです。
  • 【心配】は、心を配る(くばる)ということなので、心の持ちようです。
    余計なこと、些細なこと、悩んでもどうしようもないことなどは、心の外へ
  • 趣味はと聞かれると「無趣味」という答えになりそうです。
  • どちらかというと、へそ曲がりです。よく言えば、「個性的」です。

その都度、投稿・動画などで、笹谷達朗を表現していきます。

ブログを通じてお伝えしたいこと

Never Give Up!の精神

Never Give Up!の精神とは、
2025年初夏のころ、私は鹿児島県霧島市の国分生協病院に入院していました。
6月頃に退院の目途が出てきましたが、私にとって大変なことが起きました。
私を引き取る人が誰もいなくなり、退院ができなくなりました。
病院側は、退院を促しますが、私は、ベットに横たわりながら絶望感に満ちていた。

約一か月くらいで、私は決断をしました。
東京都世田谷区の母(笹谷クリ子 当時95歳)のところに、身を置こうと。
いろいろ問題はあったのだが、決め手は、母の周りの【介護体制】だった。
母が、「こっちに来れば、みんな(介護が)揃っているから」とのことだった。
そうやって、2025年7月末ころ、病院から、脱出(退院)ができた!

晴れ晴れとした気持だったことを今でも思い出す。

東京の母の住まいには、もうすでに、介護用の電動式ベットが用意されていた。
介護保険の要介護を利用するためには、「ケアーマネージャー」が担当する。
母を担当する「ケアーマネージャー」が、私も担当してくれた。
その「ケアーマネージャー」が、必ず、強調する言葉が、

Never Give Up!の精神 「諦めたら、それで終わる!」だった。
本当に、救われました。

笹谷達朗
笹谷達朗

私は何とか生きてきた。経験やスキルなどがある。
それを出来ることとして、
思っているだけではなく、実際に動いてみる。
必ず、その結果として、何かが出来上がる。

頭の中(想像力)は、無限で何もしなければ【無】だ!
行動することだけが、何かの形を作り出す【有】だ。
必ず、【有】は、結果となって、表に現れる。

知行合一(ちこうごういつ)

知行合一(ちこうごういつ)」を実践した大塩平八郎
知っていることと行うことは一つであるという考え。
実践の哲学
頭で分かっていながら行動しないのは、
本当の意味で分かっていないのと同じとする教え。

笹谷達朗のあつい想い 

身体が自由に動かないなら、それを補うために、経験やスキルや頭を使え
想い・情熱・使命などが、笹谷達朗の原動力となった。

最も大切なことは、健康的に生活することです。
笹谷達朗は、大病(急性心不全による心臓のバイパス手術)を経験して、
今の想いがあります。大病をする前の私を知っている人は、
私の身勝手さ・強引さ・先を顧みない行動力(向こう見ず)などに、
きっと、ヘキヘキ感じていたことでしょう。
※漢字で「辟易」と書き、正しくは「へきえき」と読みます。
意味は「相手の勢いにおされてしりごみすること」や「うんざりして困ること」です。

健康的に生活するためには、どうしたら良いと考えますか?
健全に生きるための術(スベ)を伝えることが、私の役目です。

その想いに至った経緯

まとめ